小さな友人との別れ

『天使』 としき作

振り返ると、一昨年、2004年1月から私のBlogは始まった。
もう2年になる、いろいろな事が公私共々あったけど、
今日までよく続けてきたものだと思う。

2年前、最初のBlogの記事は消してしまったので、今では残ってはないけど
ある少年の訃報だった。
今でもハッキリと日にちを覚えている。
1月23日/”がんばれ共和国”の反省会を兼ねて新年会を始めた冒頭、事務局のスタッフから
M君の訃報を聞く!
私自身、息子と同じ病気だった彼と彼の家族とは深く関わっていただけにショックだった。
当日は、九州にとっては珍しく雪がかなり降り、
翌日の葬式には雪の為、出席出来なかった。
(余談だが、後日仏前に二人でお参りさせてもらった。
申し訳ないが、このことは辛かったのでBlogから消してしまった。)

3月3日/息子俊輝の命日の前日、
風邪気味だったけど女房と一緒に、
仏前に彼の好物を上げたくて、あっちこっち買い物に行く‥
二人の一番の目的は、俊輝が大好きだった、フリージアの花を買うことだった。
今年は花屋さんに、まだあまりそろってなくて5~6件走り回るが、
やっと目的の半分だけ手に入れる。
(現在は、友人・知人のお陰で仏壇の前はフリージアのお花畑‥)

息子の命日で、何となく夫婦ともブルーな気持ちのまま
夕飯を食べゆっくりしてると、突然の電話!
出てみると、”がんばれ共和国”患児家族のひとり、Tさんだった。
小さな声だったので聞きづらかったのだが、
かろうじて分かったことは、小さな友人の訃報だった。
まさか‥!
一ヶ月前,元気な彼に会ったばかりではないか‥
突然の別れ!
私の作品展にTさんの家族と仲良く会いに来てくれた、K君7歳。
大きく澄んだ目、色が白く肌がきれいで、
昨年のがんばれ共和国大統領を立派に務めてくれたK君。
思い出は尽きない‥

その夜はいろいろ彼のことを思い出し、また息子の事と重なり、あまり寝れなかった。
まして我が家にとっても、特別の日!
息子俊輝の命日での小さな友人の訃報…何という日なんだろうか‥
翌日3月4日がお通夜と聞いたので、風邪気味の体調を整えるために横になってると、
K君のお父さんとお母さんから、電話が入る。

両親とも、本当にK君を心から可愛がり、いつも家族3人、
Tさん家族と一緒に、仲良く生活をエンジョイしていただけに、
傷心しきったお母さん、お父さんの声を聞くと、
両親の心境、無念さが涙と一緒に伝わってくる。
K君は一人息子だっただけに、なおさら居たたまれなさを感じる!

辛いね、別れはもういいよ、もう沢山だよ‥

でも、これからも”がんばれ共和国”を続ける限り、
別れがあると思うと辛くなる。
これで5度目の別れ‥
我が女房、お通夜はさすが辛くて出席出来なかったが、
翌日のお葬式には出られないと思っていたのに、出席すると言い出したのには、正直驚いた。
息子俊輝が亡くなり、早5年‥寂しさと悲しみと辛さの日々
何度、涙を流してきただろうか‥
でも、過ぎていく時間の中で大きな変化が彼女の中で
起こっているのを感じる。

どこまで、子を亡くしたお母さんやお父さんの支えになれるだろうか?

女房はライア(小さなハープのような楽器)を通じて、
想いを確実に形にし、障害者の家族や子を亡くした家族と
小さな絆を深めて行ってるのには、ホントに感心する。
強くなった女房にエール!

コメント

  1. 外野美由紀 より:

    私がK君の訃報を聞いたのは、20日以上たったころでした。理志と同級生でもあり、過去二回のキャンプでしかあったことはありませんでしたが驚きと悲しみでいっぱいになりました。
    母と二人、しばらくK君との思い出を語りあいました。私も生後5日で、理志と双子だった大志という息子を亡くしました。そのときはとても言い表せないほどの悲しさ、辛さでした。七年も一緒に暮らしたK君を亡くしたご両親の悲しみは、いかばかりか・・・計り知れないものだと思います。 今、ご両親にどんな言葉をかけられるのか・・・・こんな私でも何かお役に立てることはないのでしょうか・・・。
    K君のご冥福をお祈りいたします。

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