わが家のがんばれ共和国 2

週刊女性3月30日号(平成5年)「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より

〈トシくん、転んでばかり、どんくさか〉
俊輝くんの身体が病魔に侵され始めたのは、ちょうどこのころからでからであろう。
母親と買い物に出かけても、すぐ座り込んでしまう。
公園でも子供同士で遊ぶより、ひとりポツンとアリなどを眺めている子供だった。
母親は、それもこの子の個性だと受けとめるが、父親は元気な子に育ってほしかった。
保育園に通うようになった俊輝くんの父母会に出席した時だ。
「あの子だけ、ジャングルジムも登りきらんとよ、おかしかね」
ほかの親たちがわが子のことをヒソヒソ話すのを耳にした父親は、翌日から特訓を開始する。
近くの小川の堤で毎日駆けっこの練習をするのだが、俊輝くんは一向に速くはならなかった。
それどころかスキップさえも、いつまでもできないでいた。

「トシくんは、どんくさか」
保育園の年長組になると、俊輝くんは仲間はずれにされることもあったが、
自分からそれを口にすることはなかった。
「ぼく、ライオンズの帽子ば持っとらんけん、みんなと遊ばんちゃん」
親に心配させまいと言い訳をいうような子供だった。
しかし、小学1年生になった俊輝くんに、城下聖生(まさお)くんという大親友が現れる。
学校から帰ると2人して近くの野原や川を歩き回っては、
暗くなるまで遊ぶ毎日が始まった。
「トシくん、お願いだからゴキブリだけは飼わないで!」
母親も悲鳴をあげることはあったが、そんなわが子のよき理解者だった。
俊輝くんの欲しがる本は、家計を切り詰めてでも買ってあげる。
おかげで彼の部屋は、小さな図書館ほどに本でいっぱいになった。
学校でも、俊輝くんは昆虫博士といわれて、友達から一目おかれる存在になる。

父親の仕事も「日本現代工芸展」で準大賞をとってからは順調で、
すでにアトリエを持って生活も安定していた。
ただひとつ両親の頭を悩ませていたのは、俊輝くんが大の算数嫌いであったことだ。
「カラスが一羽いるとろに三羽飛んできたら何羽になるかな?」
母親が絵に描き、噛んでふくめるように説明しても、俊輝くんは理解できなかった。
時間の概念もないので、彼にとって1時間後も10時間後も同じ“あと”でしかない。
「お母さん、1週間が7日ってどういうこと?」
俊輝くんの頭の中では、時間の流れはないようなのだ。
そんなわが子に、母親は1年の1学期、徹底的に算数を教え込もうとする。
熱中するあまり、俊輝くんをひどく叱ることも度々だった。
「本は読めるのに、どうしてこんな簡単なことがわからんとか!」
父親も、泣いて勉強を嫌がる俊輝くんの頬を叩いたこともあった。

そんな1年の夏休み。
父親のアトリエに行こうとした俊輝くんが、バスを乗り間違えて
福岡医大前で迷子になっていると、学校に連絡が入り、担任の先生と母親が迎えに行く。
すると先生は、こんなことを切り出した。
「前から気になっていたんですが、トシくんがしょっちゅう転ぶんです。
もし、どこか悪いとこがあったらいけんから1度、病院で診てもらってはどうですか」
母親が心の奥に閉じ込めていた不安が、止めようもなく広がった。
翌日、母子は福岡医大に診断を受けに訪れた。

「お子さんは進行性筋ジストロフィー症です。 ご主人を呼んでいただけますか」
検査後、医師はそう告げた。

母親はアトリエで仕事中の夫へと電話をかける。
声を震わせながらも必死で平静さを保って話しをする妻に、
父親はこういうのが精いっぱいだった。
「とにかく、すぐいく」
車で10分ほどの病院へ行く間、わが子が生まれた時からのことが、次々浮かぶ。
自分の勝手な期待が病気の息子をいたずらに苦しめてきたのかもしれない。

取材・文/小林篤

もうすぐ、11回目のがんばれ共和国です。
いろんな出会いが、今年もあるでしょう。
振り返ると、いろいろありました…

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