わが家のがんばれ共和国 1

週刊女性3月30日号(平成5年)「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より

「ねえ、明日は気球に乗れるよね」 平成4年8月22日。
高見俊輝くん(10才)は、静岡県富士宮市の富士山麓で開催された
難病児と家族のサマーキャンプ『がんばれ共和国』に、一家4人で参加していた。
俊輝くんは、2泊3日のキャンプで熱気球のフライトを一番楽しみにしていた。
実行委員のひとりで、仲良しになった吉田尚さん(46才)と
顔を合わせるたび、俊輝くんは繰り返し尋ねるのだ。
吉田さんは何度も念を押されるうち、つい請け合ってしまう。
「おじさんが、絶対に乗せてあげるから、マカセナサイ!」
その言葉を聞いて車椅子の少年はやっと安心したのか、
いかにもうれしそうに、はにかんだ。

当日、熱気球の会場に100人近くの子供達が殺到する。
ロープで繋留された熱気球で10メートルほどの高さに上がるだけだが、
それでも子供たちは大喜びで歓声を上げる。
ところが10数人がフライトしたあとだ。
風が吹き始めると、熱気球が左右に大きく揺れ出す。
大人も子供も全員が風がやむことを祈って息を詰めて見つめるうち、
ついに中止が宣言されてしまう。
「あ-あ、お兄ちゃん、乗れんちゃろう…」
妹の友梨ちゃん(6才)がため息をついた。
「男はあきらめが肝心たい!」
父親の俊雄さん(45才)が慰めると、俊輝くんは唇を噛んだ。
母親の友子さん(32才)は、笑顔を見せるといった。
「乗れなくてよかったと思おうよ。 トシくんの分を、誰かが喜んでくれたんだもん」

もちろん、キャンプでは楽しいことがいっぱいあった。
乗馬、キャンプファイヤー、川遊びと数えればきりがない。
友達もできた。
けれど福岡市に帰る飛行機の中で、俊輝くんの表情はいまひとつ晴れなかった。
一家がキャンプの参加を決めたのも、熱気球が大きな魅力だったからだ。
俊輝くんは、学校の友達や近所の会う人ごとにそれを宣伝していた。
「お母さん、どうゆう(云う)たらよか?」
ポツリと呟くわが子に、母親は返事に詰まる。
「熱気球は、乗れんやったと正直にいえばよか」
父親があっさり答えたが、ほんとうは親たちのほうが熱気球への思いは強かった。

俊輝くんが生まれたのは、昭和58年2月4日。
両親が結婚して2年目のことだ。
父親は妊娠して間もないころから妻のお腹を「はよ(早く)、出てこい」と
さすっては、初めてのわが子の出産を待ち望んだ。
出生時、2570グラムと俊輝くんは未熟児ギリギリの体重で、
乳の飲みが悪くて泣いてばかりの赤ちゃんだった。
四六時中泣く俊輝くんをもてあます母親を、父親は責めては叱ることが、多くなる。
自宅のアパートでステンドグラスの工芸家としてスタートしたばかりの父親は、
食えるようになりたい…という焦りがあった。
母親は、夜中でも近所の公園に行ってはわが子をあやす。
口応えなど一切許さない九州男児の典型のような夫に、母親は黙ってかしずく妻だった。
ひと回り以上も年が離れていることもあったが、
信頼できる夫を支える喜びも大きかった。
俊輝くんの成長は、健康な子よりも少しづつ遅れ、
1歳半でやっと歩き、2才で言葉が出るようになる。

取材・文/小林篤

あえて記事そのまま書きました! 
永い文章になりますが、何回かに分けて書きたいと思っています。

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