がんばれ共和国との出会い

1991年第1回サマーキャンプ「がんばれ共和国」/難病とたたかう子供達支援運動
剣が峰ロッジ内、参加仲間達の13年前の写真です。 
前列右端が私です、その隣が息子の俊輝と娘の友梨です。
何故か女房だけは右端後列にいます、恥ずかしかったのかな…?
息子の病気(筋ジストロフィー)を知って2年後
彼が9才の時、遠路はるばる九州から参加しました。
動機はすごく単純で、富士山を生で目前に見たかったのと
熱気球に乗りたいだけの、軽いのりで参加しました。

しかし、この体験は私達家族にとってと云うより
私自身にとって、とても重要で貴重な体験でした。
障害者の父親として、人間として、最も大事な事を一緒に参加した家族の
お父さんやお母さん、そして子供達から学びました。
さらにスタッフやボランティアの方々との出会いが有りました。
いろんな人達との触れ合いがあり、その後13年間も関わる事になると
誰が想像したでしょうか?

事務局長の小林氏と風呂に入った時の、何気ない会話が切っ掛けで
次の年、第2回目の「がんばれ共和国」よりステンドグラス教室をやる事に成りました。
12年経った今も、いろんな地域の心ある人達のお陰で続けさせて貰ってます。
ありがとうございます! この場を借りてお礼申し上げます。

ちなみに、待望の熱気球には、我々の順番目前で風の為、残念ですが乗れませんでした。
しかし、後日談が有りますので次に書かせて頂きます。

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