ステンドグラスへの想い 31 太宰府1

「太宰府」 九州国立博物館

2009年、新年明けましておめでとうございます。

 新しい年を迎えると何故か心改まる気がする…
たとえこれから大変な世の中を迎えようとも、とにかく新しい年を迎えたのだから、
楽しく明るく歩いていくしかない。
お天道様や風も、そして周りの自然さえも、何時もと変わらない、
いつものように温かくそして優しく包んでくれる。
たかが人間事…と自分に言い聞かせる。

 先月、師走の13日に「太宰府」に於いて“日中韓首脳会議”が行われた。
私にとって、「太宰府」という土地は、とても縁の深い所である。
正月と云うと、私にとっては「太宰府」のイメージが強く、正月を迎えると
子どもの頃に住んでいた「太宰府」のイメージが思い出される。
太宰府には物心ついた頃から小学2年生の終わりまで住ごし、
太宰府天満宮の境内は、その当時の子どもにとっては格好の遊び場だった。
参道の太鼓橋の下の池で亀を捕って遊び、雨が降れば楠の大木、根元の空洞の中で
雨宿りをし…牛の銅像や麒麟の銅像には、罰がアタルと怒られようが懲りずに乗って
遊び、社務所の裏山は秘密の遊び場だった。

 正月、参拝客の人混み、いろんな屋台の出店、いかがわしい芝居小屋、怪しげな
薬売り、綿菓子や砂糖菓子に椎の実やバナナのたたき売り、くじ引きにセルロイドの
お面屋におもちゃ屋等…とにかく上げたら切りがない。
たくさんの出店が境内を賑わせていた。
それに何故か,50年前だと云うのにリアルに匂いが忘れられないのは何故だろう…
独特の匂いがあった。 晴れ着とかお化粧やなんやらが混じった独特の匂い…
そして忘れてならないのは、名物の「梅が枝餅」。
地の人間は、当時「焼き餅」と云っていた。 確か1個5円だったと思う。
茶店で梅が枝餅を頼むと、お皿の横に“あんこ”が添えて出ていたが、
何時の頃からか全く無くなってしまったのは、ちょっと寂しい気がする。
時々無性に食べたくなって家族と一緒に食べに行くが、行く店は昔から決まっている、
頑固に天満宮の境内の一番奥にある“大石茶屋”である。
60年近く変わらず、食べるときはここに行く。

1月8日 毎日新聞朝刊より

1月7日にある、有名な火祭りの「鬼すべ」も忘れられない行事のひとつ。
昔は、町々の四辻事に松明などを燃やしていたが、今は危ないのと時代で
変わってしまったらしい…ちょっと寂しい気がする。
その当時の子どもにとって、“鬼すべ”に出る“おいしゃん”や“あんしゃん”(方言)
達の、勇姿に憧れたものだ。
ちなみに私が住んでいた町名は“連歌屋”と言って太宰府の歴史を感じさせる。
今思うと粋な洒落た町名だと思う。 

肝心なことは、近頃では何時もよく忘れるくせに昔の事は何故かリアルに覚えていると
(女房殿の言葉)、やはり年取ったと云うことかな…

3年前、2006年6月ご縁で「九州国立博物館」の仕事をさせて頂くチャンスに
恵まれた事は,私のステンドグラスの歴史の中に、また一つ刻むことが出来た事は
大きい。

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