前回の「TATTO]のすぐ後に製作したのが、この立体作品の「塊・KAI」/1987です。
「TATTO」製作途中にフッと頭に浮かんだイメージを、ガラスを組み立ててる時に即興で
型紙の横にラフスケッチしたのがこの作品です。 だからデザイン画が有りません。
丁度某工芸展に2回目の応募展締め切りが近づいていた時期でもありました。
とにかく「TATTO」の製作中で時間が無く焦っていました。
1日24時間では足りない、正直30時間位ほしかったですね。
でも納得いく作品を創りたくて創りたくて、絶えず全力投球、最高作品を目指し
執念で闘っている状況でした。
「TATTO」に全力投球の最中でもあった為、身体的にも一番無理していた頃だったが、
反面最も脂がのりきっていた時代だったと思います。
(現在では、もう一度その時の体力と情熱がほしいですね…!)
初応募作品「∞-宙」は、おかげで初入選しましたが、2回目の「塊・KAI」出展については、
私の数ある作品の中でも、最も嫌なエピソードがあった作品です。
私を某工芸展に推薦した人から”ジンクスがあり2回目は落ちることになってる”と
出展する直前に突然言われ、正直驚きました。
この作品は、私自身会心の出来と確信し特に自信が有っただけに、
不用意なその言葉は大変ショックでした。 案の定見事に落選しましたけどね。
この事以外にも会への不信感等があり即退会し、一匹狼でやっていく決断をしました。
その後は公の組織にはなるべく距離を置いてきました…今思うと内部は色々ありますね。
純粋に作品だけで勝負出来る場が欲しいと心から思いましたね…ホント純粋でした。
現在考えても、作品以外の裏取引が当たり前の世界は本当に可笑しいですよ。
政治の世界そのまんまでね…。
私も当時は若かったと思う、正義感に燃え突っ走っていた証拠ですね。
でも時間が経っても私の悔しさは癒されず、作品「塊・KAI」が可愛そうで不憫な思いでした。
どうしてもこの作品は、全身全霊を打ち込み製作しただけに、真の評価を計りたいと願いました。
そんな矢先にアート社がGlass Art 誌(すでに廃刊)の「’87年鑑=日本のグラスアート」作品募集の情報を知り、直ぐに応募しました。
入選作品113点/審査員4人:1人1票持ちで、4票が満点の中、3点と言う高い評価を頂きました。
4点満点1人(グランプリ)、3点9人の中に選んで頂いた事は、ほんと最高に嬉しかった。
3点を貰ったメンバーの中には、藤田喬平氏や家住利夫氏、横山尚人氏など‥各氏と一緒に選ばれたのは、私にとっては名誉でしたね。
この時程ステンドグラスをやって来て本当に良かったと思った事はありませんでした。
この事で、某工芸展への悔しい思いはホント御破算になりましたね。
それは正直嬉しかったですよ、単細胞人間ですからね。
自分自身が全身全霊打ち込んだ自信作が高い評価を受け、その後の自信と確信と情熱の
エネルギーに変わりました。
現在でも思い出すたびに熱くなります。
※この作品では、ブルーの色合いが想像以上に美しく表現でき‥今だに惚れてます。
作品を創る人達は、それぞれの想いが一杯詰まった幾つものエピソードがあるんでしょうね。
エピソードの数だけ確実に活き(生き)てる証ですね。
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