“カフェがんばれ庵”について

“カフェがんばれ庵” この方達はボランティア参加の人です

難病の子ども達のサマーキャンプ「がんばれ共和国in九州」には、
他の「がんばれ共和国」には無い、ちょっと変わったコーナーがある。
呼び名も変わっていて“カフェがんばれ庵”と云い、
要するにサマーキャンプ中にだけ開店する喫茶コーナー。
これがなかなか捨てたモノではなく、現在では特別で重要な役目を持っている。
最初は、単純な動機から自然に始まった。

何時もキャンプ中のお母さん役であるMさんが、皆の為に廊下の隅(部屋が無く)で
サーバーを持参し美味しいコーヒーをたて、手作りのカステラや鳥の唐揚げ等を
食べさせてくれたのが始まりである。
スタッフやボランティア、そしてキャンパー(難病の子ども)の
お母さん・お父さん達がおもいおもいに気軽に立ち寄るうちに、愚痴やお喋りの場、
要するに井戸端会議が始まったのである。
難病の子どもを抱える同じ悩みを持つ家族・同じ志しで参加してるボランティアや
スタッフ達、それぞれがおもいおもいに悩みの相談や話をするうちに、
自然に“カフェがんばれ庵”に人が集まるようになる。
翌年からはお母さん達が自慢のお菓子(クッキー)等を焼いてきたり、
家自慢の漬け物を持ち寄ったりとメニューも豊富になり、愉しいサロンになってきた。 

“カフェがんばれ庵”で手芸を愉しんでるお母さん達

2年目からは出世して、施設のなか、動線上の中心にひと部屋陣取るようになる。
九州では永年の懸念問題だった、いつも誰も人が居無い「事務局」だったのが、
“カフェがんばれ庵”のお陰で、絶えず誰かが居る事務局の役目を果たすようになってきた。
会期中アンテナの重要な役目を担うようになり、些細な問題から、大きな問題まで
全部とは行かないが、解決出来るように成ってきた事は大きい。

しかし“カフェがんばれ庵”の特別な存在感は、ここまでに書いたような事ではなく、
元キャンパー(難病の子ども)の母親達が担当していることに大きな意義がある。

永年家族と共に参加した「がんばれ共和国」、悲しく残念な事だが不幸にも
わが子とお別れしなければならなかった現実。
子を亡くした家族にとっては、「がんばれ共和国」はわが子の思い出が一杯詰まった
サマーキャンプ。
悲しい事も辛い事も一杯詰まっているけど、反面愉しい事も沢山詰まっている。
お母さんやお父さんにとって、わが子のいないキャンプに参加することは
ホント辛い事だと思う。
“もうわが子はいないけど、体験したことで何かお役に立ちたい…”一念!
「がんばれ共和国」の中では、何気兼ねなく、亡くしたわが子のことを唯一話せる場、
この事は家族にとっては、些細なことではあっても大きい!
話題にのぼることで、“わが子が生きてる”と感じられる、と云う家族は少なくない。
(家族にとっては、わが子の事が話題に上らなくなった時が最も寂しいことです)

病気が解ったばかりで悩んでる家族、病名さえも未だに解らないで苦しんでる家族
どれだけの家族の人達の力になれるか解らない、話をただ聞く事しかできなくても
わが子を亡くす体験をしたお母さん達の存在は大きい。
他にぶつけられない悩み等、“カフェがんばれ庵”で、一杯吐き出してほしい。
“カフェがんばれ庵”のお母さん達は、しっかりと受け止めてくれると思います。
ここで答えは出ません、でも話す前より少しだけでも心は軽くなってるはずです。
これからは気軽に、遠慮無く“カフェがんばれ庵”を使ってほしいと思います!

ここは愉しみの場、そして心が軽くなる場です。

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