『復活』 Mar.4.’02 一周忌を兼ねた作品展にて発表
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私の家族にとって、そして私自身にとっても
2001年はとても忘れることが出来ない年になった。
この年の3月4日に最愛の息子が亡くなった、18歳だった。
しばらくは
何かをやろうとしても、やる気が起こらず、
持続力、集中力を失い、彼を思い出しては涙…
悲しみの中、突然どうしようもない寂しさと喪失感が襲う…
全てが空回り…、一時は正直 腑抜け状態だった。
仕事もやる気がなく、作品などはもってのほか‥何も描けない・作れない!
頭では、このままではダメだと解っていても、いざ机に向かい描こうとすると
じっと座ってることが出来ない、イライラしてくる。
毎日がこの繰り返し‥、その内に焦りがで、段々症状が悪くなってくる。
眠れない日が続く、睡眠不足が重なるのと焦りとの悪循環。
とうとう、睡眠道入剤の厄介になる。
(このまま何もせず過ごしていたら、鬱に成ってたと思う)
しかし心の中では、
このままではダメだ、本当にダメになってしまうと激しく葛藤してる自分がいる。
今までに築いてきたモノが崩壊してしまう恐怖感と焦り‥
出口のない地獄に堕ちたようでした。
(ホント、オーバーでは無く正直そう思ってましたね!)
作品ができなくて何度も不義理していたギャラリーのご好意で
偶然、息子の命日(一周忌)に空きがあり、急に作品展が決まる。
運命か、亡き息子の企みか、
デザインが描けないと言い訳はきかず、もう逃げられない。
作品を創らずにはおれない状況に追い込まれる。
この事がどん底からはい上がり、再起する切っ掛けになった。
(でも再起する起爆剤には、かなり激しい パワーとエネルギーがいる。)
悩み苦しみ、何度も描き直しながら数ヶ月‥
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やっとこれはと思える手応えを感じたデザインが描けたのは、
9月11日、夜10時半だった‥いつものように無意識にテレビをつける。
ニュースステーションへの第一報の瞬間の映像!
あまりにも想像絶する映像に強いショックを憶え、
しばらく現実に起こった事だとは、正直信じる事ができなかった。
映画のワンシーンを見てるみたいで、現実に起こると誰が想像出来るだろうか?
テロへの怒りと亡くなった人達への悲しみで怒りが治まらなかった。
明け方近くまで、テレビから目を離せなかった9月11日。
おそらく、あの日は世界中の大多数の人達が同じ想いだったと思います。
翌朝、私自身期するところがあり、
亡き息子への想いと合わせ、テロで犠牲になった人達への鎮魂の意味も含め、
デザインの最終仕上げをした。
私に何かが出来るわけではないけれど、
私自身の気持ちとして何かをせずには居れない、居たたまれない気持ちだった。
そうして描きあげた作品が『復活』でした。
息子への感謝、テロの犠牲者への鎮魂、そして私自身の復活を込めた作品。
この『復活』を製作できたことに、こころから感謝したい。
またひとつ『想い』を学ぶことが出来た。
作品展期間中、『復活』の前で、見知らぬ人が何人も涙を流す光景を目にする。
あれから早いもので5年が立つ、
作品展をする度、未だに『復活』の行方を尋ねる人が多い…、何なんでしょうか?
このところ、紙面も電波も米同時多発テロのことばかり。
2001.9.11/あれから5年…
世界中を震撼させた大きな事件、いまだにビルに突入する航空機と
ビルが崩壊していく、生々しい映像を忘れることは出来ない。
2001年、 米同時多発テロ事件と共に、私事を含め忘られない年になってしまった。
テロは、理由が何であろうと許せない事です。
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