ステンドグラスへの想い 12 (Dancing)

“Dancing”/喫茶しはら/福岡市博多区/1985

先日、10年来の付き合いがある、月1回のB型会という飲み会に出席。
(念のため、私自身はB型ではないし、ホントは酒があまり飲めないのです。)
ここのところサボっていて久し振りの出席だった(本当は念を圧されて…と言いたいが)
本音を云うと、出席した訳は場所(店)にあった。
この場所は県庁の側にある“喫茶しはら”という店である。
20年前、ステンドグラスをやり始めて3、4年の時に、
その当時親しくしていたインテリアデザイナーの紹介だった。
ご無沙汰していたのと、つい最近、偶然にも女房が店に行ったみたいで、
帰って来るなり、

“しはら”に行ったが良いと思う。 あの当時のあなたに会えるよ…、
すごく丁寧につくってるのが良く解る。

この言葉に押されたのと、たまたま偶然が重なり
自分自身の原点を見る、再確認の為にも無性に行きたくなった理由である。

いやあ…、作品自体20年の時の流れを感じ、
その当時の私自身の技量を思い知らされてしまった。
でも、やはり行って良かった、ホントに良かった。

幼稚さ、ぎこちなさばかりが目に付き、恥ずかしかったが、
逆に、かえって新鮮な気持ちにさせられてしまった。

その当時、あまり仕事が無く、決して高価なガラスを使ってはいないのだが、
テクニックも道具も最低限度の物しか持ってない中で、良くつくったものだと感心する。
作品を目の前にした瞬間、当時の私自身が蘇ってしまい、感慨深いものを感じる…
真剣に、真っ向から作品にぶつかっていった、怖さ知らずでエネルギッシュな当時の姿を思いだす。
特に、ダンスで飛び上がる瞬間の女体の美しさを、どう表現するか? 
最も悩み苦しんだ…。
しかし、絶対にイヤラシさだけは表現したくなかった。
真剣に打ち込む純粋な気持ちと汗、健康的で爽やかな色気を表現したかった。
(ちなみに当時、映画フラッシュダンスが話題を集めてる時だったと思う。)

デッサンに凄くこだわり、何度も何度も描き直し、時間をすごくかけたのを思い出す。
私も、若くてエネルギーやパワーが一杯あった。
誇れるものはそれしかなかった。
良い作品、誰にも負けたくない作品を創る事だけに情熱を燃やし、
何にでも向かっていく、ハングリーで飢えて牙を研いでいた自分がいる。
異常なほど製作に打ち込むばかりに、作品を作り終えた後は、
体力も消耗、エネルギー全てを使い果たし、必ず寝込んでいた。
2週間くらい、何もしたくなくて、ガス欠、腑抜け状態。

SGへの想い1で書いたように、熱くなればなるほど、側に必ず犠牲者が居るわけで、
それが身近な家族であり、一番の犠牲者である女房の言葉は重い。
私にとって最良の理解者だと思う(感謝)。
しかし、きつい辛口の評論…グウの音もでない。

今は多少、年もとったし、若い時程の体力とエネルギーは無くなったかもしれないが、
情熱の火だけは、まだ少しだけは残っている。
前向きにチャレンジだけは、何時でもしていたいと思う。
若い時と違い、力ではなく、いい味がだせる作家に近づきたいと思う今日この頃。
原点を見ることで、見えてくるものがあるのを知りました。

コメント

  1. 内藤 修 より:

    いやぁー 懐かしいですね。
    画像含め、[“Dancing”/1985.]を拝見するのは実は初めてですけれども、高見さん 何とも懐かしいですね。
    そうした駆け出し一念の作例というのは、セピア色の写真に再会するように、止まらない振るえや奮えを呼び覚ましますね。
    迸る青春の汗もあればまた、右眼に顕微鏡かと思えば左眼は望遠鏡を宛ったりで、所在を問わない若さに溢れかえったりして….。
    実に興味深い初期の、高見さんらしい作品。
    これこそご自身の詳細履歴書。「喫茶しはら」さんに感謝、生きた宝物ですね。

    それだけに、「喫茶しはら」さんには、作家-高見俊雄の赤裸々な仕事足跡[“Dancing”/1985.]を、永久保存していただきたいと願うばかりです。

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