わが家のがんばれ共和国 3

週刊女性3月30日号(平成5年)「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より
週刊女性3月30日号(平成5年)「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より

1991年第1回サマーキャンプ「がんばれ共和国」/難病とたたかう子供達支援運動
剣が峰ロッジ内、参加仲間達の13年前の写真です。 
前列右端が私です、その隣が息子の俊輝と娘の友梨です。
何故か女房だけは右端後列にいます、恥ずかしかったのかな…?
息子の病気(筋ジストロフィー)を知って2年後
彼が9才の時、遠路はるばる九州から参加しました。
動機はすごく単純で、富士山を生で目前に見たかったのと
熱気球に乗りたいだけの、軽いのりで参加しました。

お父さんも、お母さんも、トシくんをちゃんと守っちゃあけん!
父親は俊輝くんに抱いていた将来の夢が崩れてしまったことより、
そのことがショックだった。
「おれの人生はよか。 もう終わってよか」
父親の人生にとって大切なものは何か、この時ふっとわかる。
病院に着くと、診察室の前で立ちすくむ妻とわが子に父親は力を込めていった。
「心配せんで、よか!」

進行性筋ジストロフィー症は、筋肉の細胞が壊れて萎縮し、その働きが失われる難病である。
発症年令・侵される筋肉の範囲・遺伝形式の特徴の違いから、
いくつかのタイプがあるが、俊輝くんの場合は最も重いデュシャンヌ型。
この型は男児にだけ発症し、腕・太もも・背筋・腹筋・心筋などが徐々に侵されて、
多くは20歳前後で寝たきりとなる。
いまのところ根治療法はなく、あまり長生きはできないとされているが、
最近の遺伝子研究の進歩で、原因などが解明されつつある。

宣告から1ヶ月あまり、母親は昼は笑顔を装い、夜は泣き明かす日々を過ごす。
俊輝くんが算数ができないのは病気の関係からだと医師にいわれたことも、
母親の悲しみに追い打ちをかける。
どうしようもない自己嫌悪の中で、母親は夫に生の感情を吐き出すようになる。
それまでは、妻の思いにあまり耳を傾けることのなかった父親が、
包み込むように受けとめはじめた。
夫婦の関係が少しずつ変わるうち、父親の作品も大きく変わっていく。
1年後の夏に大きな賞をとった作品は、俊輝くんの虫の絵をデザインに使ったものだった。
「これはボクのステンドグラス!」
俊輝くんは父親の授賞式で誇らしげにいった。
2年生の夏休みに一家は、この時の賞金でアメリカ旅行をする。
両親はわが子が歩けるうちにと、学校が休みのたびに家族で遊びに出かけるようになった。

俊輝くんは、母の日に名もない小さな草花のブーケを母にプレゼントする、
優しい男の子に育った。
しかし、俊輝くんの病状は去年の1月頃から急速に進む。
そして3月のある日。
「お母さん、ぼく歩けなくなるの? どうしてなのか教えて」
くつも脱げなくなった俊輝くんは、初めて不安を口にしたのだ。
父親の出番だった。
「お父さんが教えちゃ。 一緒に風呂で話そう」
いつのころからか俊輝くんの入浴は父親の役目になっていた。
湯船の中、同じ目の高さで向き合うと、父親は話せるような気がしたのだ。
裸の息子を膝に乗せ病名を告げた父親は、ひととおり説明するとこういった。
「世界中のお医者さんが治る薬を研究しとることは確かやけん。
落ち込むことは、いらん。
「自分のやりたいことや夢をしっかり考えんね」
父親は、小さな身体をぎゅっと抱き寄せた。
「お父さんもお母さんも、トシくんをちゃんと守っちゃあけん、心配せんでよか!」
父親の腕の中で「うん」と頷いた俊輝くんは、風呂から出ると明るくいった。
「お母さん、ぼく病気のこと解ったよ」

そんな折り、一家は富士山のキャンプを知って申し込んだのだ。
俊輝くんは、5月には歩けない身体になってしまう。
車いす・障害者手帳の申請やら補装具づくりで、両親は夏までを胸のつぶれる思いで過ごす。
そんな重苦しい日々を、何とか明るくやってこれたのも、
熱気球に乗るという夢があったからかもしれない。

サマーキャンプが終わって半月もたたない9月中旬。
突然、高見家に電話が入る。
「福岡の倉重安見さんが、トシくんを熱気球に乗っけてくれることになりました!」
マカセナサイの吉田さんからだった。
11月8日。  佐賀県嘉瀬川の河原で、父親に支えられた俊輝くんは熱気球に乗る。
東京から駆けつけた吉田さんは、緊張で泣き出しそうな俊輝くんに帽子をかぶせた。
ボーッというバーナーの音で、熱気球はふわり浮かびあがると、見る見る上昇する。
俊輝くんの小さくなっていく顔が、たちまちほころんだ。
みんなは、この笑顔を見たかった。
つらかった日々が青空に消えた。
「お兄ちゃーん!」  稲刈り後の田んぼの中を妹の友梨ちゃんが熱気球を追いかける。
足が痛くなって座り込んだ兄は、「やっぱり立つ!」と身体を伸ばして手を振った。
夢は、みんなに力を与えてくれる。

おわり

取材・文/小林篤

この1・2・3の文章(『わが家のがんばれ共和国 1』、『わが家のがんばれ共和国 2』、『わが家のがんばれ共和国 3』)は息子の俊輝が3年生の時、11年前に週刊女性に載った記事を
そのまま3回に分けて写したものです。
私の独りよがりかもしれませんが、
関わった「がんばれ」の仲間達の温かい好意を、少しでも知って頂ければと思い載せました。
「がんばれ共和国」を毎年愉しみに、難病と闘ってる子供たちと家族が全国にいます。
東北(蔵王)・関東(足柄)・愛知(宝来)・九州(湯布院)・沖縄(名護)で
夏休みに行われるサマーキャンプ!
たくさんの人達、あらゆる職業の人達が、毎年夏になるとボランティアとして、スタッフとして
無償で駆けつけてくれます。
子供たちの喜ぶ顔、家族の喜ぶ顔、お母さんの喜ぶ顔を見たいが為に、
仕事で疲れきった身体もいとわず、汗まみれになって2泊3日、一生懸命動き回ってます。
中には、中学生も高校生も大学生もいます、自分の関わる職業でお役に立てるならと
駆けつけてくれる人達がいます。
みんな仲間です。 こころの中に温かいものを一杯持った仲間達です。
彼等がいる限り続けられると思っております。
もう13年…未だ13年です。  
九州は11年になります、これからどんな「がんばれ共和国」になるのでしょうか、楽しみです。

コメント

  1. 大谷 丈夫 より:

    何となく見ていたら『がんばれ共和国』を見て、皆それなりに悲しい事を乗り越えるのに頑張ってるんだな とか 自分がその立場に置かれた時 始めて悲しみや 他人に少しでも役に立ちたいと思うんだろな なんて 考えてました、ご存知の様に余り大したことは出来ませんが 何か 出来ることが有ったら お役に立ちたいと思いますので連絡をください、奥様にも宜しくお伝え下さい

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