ステンドグラスへの想い 3

日本でのステンドグラスの歴史に、時々思うことだけど、
明治時代に最初入ってきたことは、書物等に皆さん書いてるので解っている。
西の宇野澤組、東の小川三知氏から始まったと言われる。
門外不出だった技法、徒弟制度の閉鎖的な工房の永く続いた中で、現在のように教室として
一般にまで広まってきた原因は…?
意外と、書かれた事がないし、関係者の皆さんは言ってきて無いように思う。
ベルリンの壁が崩壊したような事が、ある時期ステンドグラスの世界に
何かが起こった事は確かである。
私だけが知りたいのかな…!  何千、何万のステンドグラス人口がいる現在、
教室の創世記を知らない人達が増えてきた以上、残し、知らせる責任が有ると
思うのは僕だけだろうか?
30年前、名古屋から産声があがった新しいステンドグラスの波。
ガラスも限られたルートで、限られた種類しか手に入れる事が出来なかったと聴く。
ガラスをもっと自由に手に入れたいと…手探りの中、アメリカから直接輸入する
ルートを見つける、後で知ったのは、そこは普通の個人の工房(スタジオ)
だったらしい。
今では、笑い話で済まされるが大変な苦労だったと思う。
そして、日本に無かったステンドグラス教室へと進む道…、
この事はとても大きい意味を持つ、業界の歴史を塗り替えた出来事だと思います。

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